3千円と5千円

7月。

おばあちゃんが脳梗塞になり救急搬送された。

 

医師からは意識が戻っても、僕たち親族のこともわからない可能性がある。話し掛けても何を言ってるか理解できないと思う。なんてことを言われた。

 

幸いにも数日で意識は回復し、僕のこともわかっていたし、言っていることも理解はしてくれた。

 

けれどおばあちゃんは左半身が麻痺になり、そのせいで僕らが逆におばあちゃんの話を聞き取ることが難しくなった。それでも、時には筆談なんかも交えながらコミュニケーションを取っていた。

 

自分で言うのも何だが、おばあちゃんは僕のことが好きだ。なので僕が出来るだけ顔を出せば元気になる気がして、僕はなるべくお見舞いに行くようにしていた。

 

そんなある日、僕は友人と食事に行く約束をしていたのだが、そんな暇あるならおばあちゃんに顔を出してあげる方が良いのではないか?なんて思い、罪滅ぼし的に、少しだけ病院に立ち寄った。

その時に、これから晩ご飯を食べに行くのならと3千円を僕に渡してくれた。僕は子どもじゃないからそんなことしてくれんでも良いよと断ったが、親や叔母などから貰っておけと言われ、おばあちゃんから受け取った。

 

7月に入院し、2ヶ月が経ったころ、おばあちゃんは退院することになった。と言っても、要介護4で、介護が必要な状態であった。

麻痺は治ることはなく、一人で歩くことは出来ないので、僕も退院日に仕事を休み、病院まで迎えに言った。

車に乗せて、家の前まで来たが、歩けないので玄関に入るための3段の階段も当然上がれない。だから僕はおばあちゃんをおんぶして、家の中まで連れて行った。元々小柄なおばあちゃんは驚くほど軽かった。

 

その日は手伝ってくれたからと叔母が僕に5千円上げると言った。僕は、そんなんいいよと言ったのだが、やるよと言う。お金が欲しくてしたのではなく、ただ手伝えることは手伝おうと思っただけなのだが、断ってもくれようとする。なら、おばあちゃんから貰いたいと伝え、おばあちゃんから手渡して貰った。

 

いつまでも元気だと思っていたし、何なら、いつまで生きるんやろ?って思ってた所に、急にやってきた脳梗塞

それまで自分のおばあちゃんに限っては死ぬ気がせん。とさえ思っていたのに、何となく死はそう遠いものではないと思い始めていた。

だからこそ行ける時に出来るだけ顔を合わせておこうと思い、行ける時は顔を出していた。

 

だから後悔はないのだけれど、脳梗塞になり麻痺になったことで誤嚥性肺炎にかかり先週再入院となり、11月2日の深夜に亡くなった。

 

今日葬儀を終えて、おばあちゃんは25年ぶりにおじいちゃんと再会しているのだろうと思う。

 

実は3千円貰ったあの時から、おばあちゃんから貰える最後の小遣いになるかもしれへんなと思って、3千円と5千円は今も使わず財布の中に入っている。きっと今後も使うことはないかな。

 

 

 

自分は小さいのに、こんなに大きくしてもらってありがとうね。

 

反抗期は親にではなく、おばあちゃんに当たってた気がするな〜。ごめんな。

 

結婚式で手を繋いで歩けてよかったわ。結婚式はしたくないと思ってたし、今考えてももう二度としたくないけど、これだけはめちゃくちゃ良い思い出やったわ。

 

でもあと少し待ってくれたら、ひ孫も見せれたのにな〜。

 

でもしんどそうやったから無理して欲しくもなかったしな〜。

 

まあ命のバトンってことにしといたろか!

 

カーナビのせい。トヨタのせい。パナソニックのせい。

遊びに行った帰りに西宮の国道43号線の側道で一旦停止をしなかったと、警察に追われ捕まる。

徐行はしたけど停止はしてないので、私に非があるのは認めようじゃないか。

ただこれだけは言いたい。

僕は元々本線を走ってたのにカーナビは側道に行けと言う。だから僕は側道に入った。そこで捕まったのだが、結局その後側道で曲がるでもなく本線と合流したのだ。
本線を走っていれば捕まることはなかったことを考えると、ナビの意味不明な案内。強いてはそれを進めてきたトヨタ。そんなわけわからんナビを製造したパナソニックに問題があるのではないかと思う。


今年免許の更新がある。ゴールドの予定やったのに、免許も気持ちもブルーになる出来事だった。

僕が伝えたいことは、LINEでは伝わらない

たった1日の為に、途方もない労力を惜しむ。そしてそこに大金を投資する。
それやのにみんなはこぞって開催する。なんて馬鹿馬鹿しいことをするんだ。

それが僕の率直な感想。

そんなことを経験者に話すと、色々ケンカしたけど、やって良かったと思う。とか、中にはまたしたいと思う。
なんて、肯定的な意見ばかりが返ってくる。

それでもなお半信半疑。

百聞は一見にしかず。

今の自分の立場から、感想を言うならば、


過去に遡れるなら、やればわかるからやってみろ!と、僕は自分の背中を押すだろう。
それにより、タイムパトロールぼんに捕まることがわかってたとしてもそうするだろう。
と言うことだ。

自分が楽しいと感じることもさることながら、自分たちのためにあれだけの裏方さん達がいるのだから、高いのは仕方がない事だと思えてしまう。
そして何よりも、これまで自分たちに関わってくれた人達への感謝が湧いて出てくる。
来てくれた人達からすると僕が主役なのだが、その時に来てくれた人達みんなが僕にとっては主役だった。
これまで出逢った人達みんなが一人でも欠けていれば、自分の人生は右にも左にも振れていたのかと思うと、今の自分と言うのは、この人達が居てこそなんだ!と、強く思った。

両親を含め、みんなに最大級の感謝を送りたい。



あっという間の1日は夢のように過ぎて行き、今は余韻に浸っている。

現実に引き戻されるのはもう少し後の話。

桁違いなカードの請求額を見て、目を剥くのだろう。

ただ、今の自分なら後悔なくそのお金を支払える。

ポイントもつくし!グヘッ!

早くもみんなと会い話がしたい気分だ。

メランコリック風情がっ!

これまでの思い出が、滝のように溢れ出し、走馬灯のように駆け巡る。

そんな独身最後の夜を迎える予定だった。

でも、緊張とかそんなものはなく、実感なんてもんもない。常の日。日常。

強いて言うなら、今はただ明日1日が、それこそ早く駆け巡れば良いな。と、始まる前から終わりを考え始めている。
人間は生まれた時から終わりに進んでいるらしい。
終わりの始まり。

それと同じで、結婚が決まり、式を挙げることが決まったその日から、終わりに向けて歯車はゆっくりと、時には足早に回っていたのかもしれない。

とうとうそれが明日で終わる。けれど感慨深いとは思わない。

なぜか?を考えると、終わりが始まって、終わりを迎えて、それがまた始まりに繋がるからなんだと思う。

けれど、次の終わりの始まりは、終わりがいつかは見えない。


次の終わりが、命の終わりとイコールであることを願う。

そんなことを考えながら眠りにつこう。

失くしたものはそうやすやすと手元に戻るものではない

パスポートを作るためにパスポートセンターに行く。
今はわざわざ天王寺に行かなくても、堺市役所で作ることはできるようになっている。しかし区役所では出来ないので些か不便だ。


便利さを求めすぎては行けない。十分便利になったもんだと、言い聞かせ市役所に向かう。

お金と財布があれば、免許証も財布に入ってるし問題ないと、車で市役所まで行く。
パスポート作成には戸籍抄本が必要なため、まずは市民課へ向かう。

申請用紙に必要事項を記入し窓口へ向かうと、本人確認書類の提示を求められたため、財布の中から免許証を。


ん?


ない。

いつも入れないような所まで探すも見当たらず。

やむなく保険証を提示するも、顔写真がないため、両親の誕生日なんかを聞かれ、なんとか戸籍抄本はゲット。

パスポートの方も事情を説明し、作成は出来るとのこと。

しかし、免許証がないと気付いてからと言うもの、パスポートの手続きなんて上の空である。


一刻も早く家の中を探したい。

きっと家の中にはあるはずだ。

免許証がないことを知ってしまっているので、手続きが終わってからの帰りの運転は何故かソワソワする。

家に帰って心当たりがありそうな場所もくまなく探すもない。

落としたのだろうと思い、警察に行き紛失届け
を出すも、届いてはない様子。

警察で再発行を依頼すると、2週間程度かかるが、試験場であれば即日発行可能とのこと。

来週中に試験場に行くことを誓ったのであった。

当然ながらそれまで運転は出来ないらしい。


きっと再発行した後に、家の中から免許証が見つかるのだろう。

いつだってそう。探してる時には見つからない。

でも、探さなきゃ見つからない



自分の眼鏡。

f:id:pakonta:20151010002241j:image